BLOG

~魂で駆動する~カール・ラガーフェルド

こんにちは。フォーチュン・カウンセラーのロサリオです。
数秘基礎講座の卒業レポートのご紹介です。
ご自身も“美”に関わるお仕事をされているTomikoさんは、ファッション・デザイナーのカールラガーフェルドをレポートしてくださいました。
先駆的なクリエイターの彼は数秘で紐解いてみても、仕事もライフスタイルも常に魂で駆動する、“駆動感”を感じさせるバイブレーションでした。そして“愛”の人でもありました。

karl Lagerfeldt カール・ラガーフェルド
1933年9月10日生まれ  出身ドイツ国ハンブルク
20019年2月19日没(85歳)
本名 Karl Otto Lagerfeldt カール・オットー・ラガーフェルド
職業 ファッションデザイナー、写真家


Photo: Getty Images

Birth No 【人生の指針 深層意識 生まれ持った資質、個性】「8/17」

8-「秩序」パワフル、力強さ、リーダーシップ、現実的、実行力、統率力、洞察力
17-「自己信頼と尊重」「シェアと循環」カリスマ性、洞察力に溢れた独創的で輝かしい思想家

その活躍、行動力はまさにパワフルで実行力のNo8そのものです。
シャネル、フェンディ、自身のブランドのデザイナーとして年に12回以上ものコレクションを発表し、それぞれブランドの広告写真も自ら撮影、写真家としても活躍。「死んだも同然」だったシャネルを立て直し、ファッションの最前線に再び立たせ、収益を上げるビッグ・ビジネスに変えてみせました。
「ファッションデザイナーという言葉では私を表現しきれない。私はビジネスマンでもある。今プレタの世界には、冒険的なビジネスマインドが必要だ」
カールは単に洋服をデザインするのではなくそこにシャネルの代表的なモチーフ、素材を盛り込みブランド自体を進化させ新しい顧客を開拓しました。これはNo8を持つ彼ならではの洞察力、そしてビジネスとして成功させる実行力が導いた結果といえます。
そしてシャネルの顔として歴代のスーパーモデルをはじめ、女優やミュージシャンを起用しました。これも今で言うインフルエンサー的な効果をブランドにもたらすことを見抜いていたと言えるでしょう。
また、カールは白髪のポニーテールにサングラス、ハイカラーのシャツにネクタイ、レザーグローブ、全ての指にはクロムハーツのリングというスタイルで自らをアイコン化し、「皇帝」という愛称が世界中に浸透しました。ここには#17のカリスマ性が表れていいます。

Destiny No【対外的テーマ 表面意識 人生における使命、目的、何を実現していくべきか】
「13/4」

4-「安定」 形成、規律、秩序、勤勉
13-カルミックナンバー「修練」 創造と破壊を繰り返し常に学びを喚起させられる厳しいナンバー。常に新しい経験をし続けることで、人を誘導し勇気づけることができる。循環を起こす人。古い価値観へのこだわりや執着を捨て、評価、報酬、成果などを実現していく。

針と糸を持ち、布を操るクチュリエではないカールは、紙とペンをひと時も離さず、どんな時も次々とデザイン画を描いてきました。
時代をつかむ嗅覚は天才的のようでもありますが、ファッション以外にも写真や建築、アートなどへの幅広い好奇心をどん欲に持ち続けインプットとアウトプットをたゆみなく重ねてきた猛烈な努力家です。彼の書斎は写真やアート関連の書物で埋め尽くされています。
また、彼はスタジオに古書や写真の参考図書から最先端の雑誌までを取りそろえた「7L」という本屋を所有しています。
カールは自らを労働者階級と称して酒もタバコも深夜のパーティーも好まず、モットーは「健康第一」と言っていました。
仕事に関してはワーカホリック。これは#のアマチュアな部分とも言えます。
しかし、彼の多大な仕事量は自らを管理し、勤勉である#4だからこそ実現出来てきたと思われます。
デザイン画を描いた後は「プルミエール」と呼ばれるトップの裁縫師に具現化するのを委ねますが、若い頃に「ジャン・パトゥ」で素材や技術的なことを学んだカールが描くデザイン画はその堅実な知識によって描かれています。そして長年一緒に仕事をしてきた信頼関係のあるアトリエスタッフとのチームワークでドレスが仕上がっていくというプロセスも#4らしいと言えるでしょう。
カールはカルミックナンバー#13を持っていています。このナンバーが持つ「創造と破壊」というテーマも「ファッションは継続と変化の2つからできている」という哲学を持つカールを表してると言えます。過去に執着せず常に前進しているカールはファッション界を循環させる存在だったのではないでしょうか。

Soul No 【魂の欲求 一番大切な価値観、内的願望】「6」

6-「調和」
  愛、美、調和
  美意識、芸術的才能、Love-信頼できるパートナーシップ

デザイン画を描き、コレクション会場のチェック、靴やバッグ、アクセサリーのスタイリング、モデルのポージングも指示するトータル的な美意識はNo6の美と調和が表れています。
幼い頃はイラストレーターになりたいと思っていたカールでしたが、自分の作り出すファッションで女性を幸せに元気にするという職業を選んだのはSoul Noに#6があるからかもしれません。
またSoul Noは恋愛に関しても関係しています。
仏領インドシナ生まれの貴族の末裔ジャック・ドゥ・バシェールとの関係は彼がエイズで38歳の若さで亡くなる1989年まで18年間続きました。彼はイヴ・サンローランとも関係があった人物ですが、カールは最後までプラトニックな関係を通しました。そして最後は息を引き取るまでずっとそばにいたそうです。
ジャックの評伝が出版された際、作者のインタビューに「ひどいところもあったけれど、自分にとってはかけがえのない存在だった」とラガーフェルドはジャックについて率直に話し、涙を流したそうです。心の底からその死を悼み、今もずっと思い続けている人の涙だったと作者はコメントしています。
#6の献身的な愛が感じられます。

Personality No 【社会的な仮面、第一印象、他者の目に映る表面的人格】「7」

7-「飛躍」 洗練され個性的、鋭い知性
常にサングラスをかけたその姿は表情が解りにくく、近寄りがたい印象があります。カラフルな色の洋服を着ると頭が混乱してしまい、デザインするのが難しくなってしまうので、いつも黒い服とサングラスをかけているという理由だそうです。
また膨大な知識から広がる会話はインタビュアーが驚愕するほどで、知性的なところは#7の知性が表れています。

Realization No 【今回の人生での可能性、実現性】「3/12」

3-「発展」 表現、生産、解放
12-「表現と創造」コラボレーション

デザイナーだけに留まらない表現者としての活躍は#3/12を見事に体現していると言えます。また、H&Mとのコラボを実現し、ファストファッションとデザイナーによるコラボレーションの先駆けとなりました。他にも自身が好んで飲んでいるコカ・コーラ、老舗ぬいぐるみメーカーであるシュタイフや世界最高峰のピアノメーカー、スタインウェイまで。数多くのブランドや企業とタッグを組み、あまたのデザインを生み出しました。


Photo: Getty Images

Stage No (人生においてどのような舞台に立つのか、一番輝ける場所、ライフワーク)「1/10」
1-「絶対」創造、革新、斬新
10―カルミックナンバー 「創造力とオリジナリティー」本能が常に前進し、探求することを欲する、美を表現

カールにはよく比較されるイヴ・サンローランやジョルジオ・アルマーニなどに見られる代表的なデザインは浮かばないのではないでしょうか?それは彼が常に新しいものを創造し、前進していっていることの表れでもあると言えます。
また、プレ・コレクションのランウェーショーも上海やロサンゼルス、ドバイ、エジンバラ等を最新コレクションと共に巡回しました。これらは#1の常に革新的であること、そして#10のその探求を続ける姿だと言えます。

Challenge No (人生における課題、越えなければいけない壁、残念なポイント、試練)「8」
8―「秩序」自己信頼と能力の育成地道な努力を続け常に達成に向かうこと、自我とパワーのコントロール謙虚に人の意見に耳を傾ける
アマチュア ワンマン、独裁、冷徹、

Birth Noと同じNo8です。8のパワフルで実行力のある反面、大胆なリストラも実行しました。ミューズだったモデルのイネス・ド・ラ・フレサンジュは、かなり荒っぽい方法で解雇されたとも言われています。(後に関係は復活し、再びシャネルのモデルも務める)
彼に起用されるということは、ファッション界における最高の地位を約束されたことを意味し、外見の美しさだけではない独自のスタイルを持つ女性のみに許される特権です。しかし、その強力な影響力を持つ彼の放つ一言で居場所を無くすことになる人がいることも事実です。

Nature No (その人が持つ自然な資質、本質)「9」
9―「完結」「変容」複雑、干渉を嫌う

パワフルでストイックなカールはNo9を持ち、内面は複雑な部分もあったのかなと思いました。
孤独の身に生まれついたんだ。ひとりぼっちの何がいけない? 今となっては、一人で過ごす時間を持つことは最高の贅沢だ。
自分の出生を語りたがらず、他人が彼を分析したり、理解しようと努力することほど、彼が忌み嫌っていることはなかったといわれています。彼は、自分の人生は自分で語ることに固執し、事実、誰にも彼のことを語らせはしなかったそうです。

Action No (その人物の行動特性)「7」
7―知性、探求心、独創性

探求欲は彼の部屋に積み上げられた本、DVDに表れています。読書好きで観察眼に長け、見たものや聞いたもの、読んだものはすべて、独自のフィルターを通じて強力なファッションイメージになりました。彼の書斎は写真やアート関連の書物で埋め尽くされ、蔵書数は、なんと30万冊以上にも上ったそうです。カールにとって好奇心、知識に対する欲求は止まることが無かったようです。


Photo: Getty Images

<Cycle>
0―28歳
Cycle Numbers 9
Pinnacle Number 1
Challenge Number 8 

父が事業で成功し、裕福な家庭で育つ。末っ子で可愛がられて育つ。
「そして6歳で3か国語(英語、ドイツ語、フランス語)が話せるようになっていた。」
「5歳で服を描いていた(それをモードと呼ぶことを知らずに)、かなり早い時期から服に興味を抱いていた。1日に4回は着替えないと怒りだすような子供だった。」
「11歳の時からネクタイを締めない日は一度たりともない。」
ソニアリキエルの服を愛用していたお洒落で美しい母の影響が大きい。早口も母の影響。
母は「努力しなさい。でなければ黙ってなさい」が口癖でいつも「お前のくだらない話にこれ以上時間を割くことはできない」と言いすぐ立ち上がってドアのほうに行ってしまうので、私は話を早く終わらさなければならなかった。
また、煙草に手を出さなかったのは「ただでさえお前の手は不細工なんだから、煙草なぞ吸えば人の視線を集めて醜い手が目立ってしまうよ」と母に言われたから。
恐ろしく頭が切れる女性で、まっとうな教養人となるように息子に対して常に厳しく接してきた。独自の審美眼から発した立ち居振舞いから容姿に及ぶ息子への叱責と苦言は、普通の子供なら息の根を止めてしまいかねないほど。しかしインタビューの中で、そんな母のことをラガーフェルドは親しみと敬意を込めて回想している。学問を強いず、息子をパリへ送り出したのも母だった。
25歳でローランド・カールの名を使ったコレクションが行われるが反応は良いものではなかった。26歳でデザインしたスカートはその年のパリでは一番短く、当時は斬新なデザインだったが「既製服としては十分よく売れるだろうが、しかしオートクチュールではない」と切り捨てられる。オートクチュールのあり方に疑問を感じ、2年間イタリアに渡ってフィレンツェで建築や絵画、彫刻などを学ぶ。

カールは小さい頃から絵を描き、読書をして過ごしていました。
洋服にも幼い頃から興味を持ち、自分がホモセクシュアルという事もわずか11歳で認識。
そしてフランス絵画をきっかけにフランスに興味を持ち、ファッションデザイナーを目指します。
Cycle No9からも無邪気な子供ではなかったことが伺えます。
そしてパリに渡り21歳の時にコンテストで優勝し、デザイナーとしての道を歩み始めますが、なかなか自分の目指す仕事内容には恵まれなかったようです。
ここで一度ファッションから離れてイタリアで別の分野の勉強をしたことが後にアートや写真という分野への活躍に役立っているとも考えられます。
このサイクルにNo9があり、彼の母の影響も大きいとも言えます。
早口であること、タバコを吸わないこと等。
とても厳しそうな方だったようですが、今のカールがあるのはこの母のお陰かもしれません。


Photo: Getty Images

29―37歳
Cycle Number1
Pinnacle Number8
Challenge Number6

この時期はクロエ、フェンディとの契約をし、徐々にその才能が認められてきました。
Fを二つ組み合わせたフェンディのマークなども考案し、サイクルNo1のインスピレーションが開花した時期でもありました。
コアNoの8、6がそれぞれPinnacleNo、ChallengeNoにあり、責任を持ったメインデザイナーの地位でクリエイションにチャレンジしていった時期でした。

38-46歳
Cycle Number1
Pinnacle Number9
Challenge Number2

この時期はファッション以外でもクロエの下で香水に着手したり、別会社を設立したりと多方面にわたり活躍の場が広がっていきました。
このサイクルの始まりの38歳の頃パートナーとなるジャック・ドゥ・バシェールと出会います。彼はイヴ・サンローランとも関係を持っていたりとPinnacleNo9の時で恋愛面は不安定だったかもしれません。また最愛の母との死別もありました。


Photo: Getty Images

47歳-
Cycle No7
Pinnacle No7
Challenge No2

49歳でシャネルのヘッドデザイナーに就任し、彼の快進撃が始まります。
ほとんどの人がこの時期以降のカールの印象が強いのではないでしょうか。
Cycle No、Pinnacle No共に7、まさに飛躍の時期と言えます。
ここからのカールはファッションデザインに留まらず、写真家として、また自らアイコンとなり、世界中にその姿が認知されていきます。
次々と新しい取り組みをしていく姿勢はNo7の探求心の表れだと言えます。
56歳の時に長年を共にしたパートナーの死の経験からか
「あまり自分を犠牲にしてはならない。自分をすり減らしてしまうと、与えられるモノが何もなくなってしまう」と語っています。
No7の時期に精神的にも成長したと言えるでしょう。
また、晩年カールと共に有名になったサファイア色の目をした美しい白猫のシュペット
「私はシュペットのおかげで少しはましな人間になれたよ。自己中心的なところがちょっと減った。」
Challenge No2のこの時期、一人の時間を最高の贅沢だと言っていたカールだが、愛猫との暮らしによって受容することを学んだのかもしれません。


Photo: Getty Images

<Year Cycle>
21歳(Year Cycle 20) 「2」芽吹き「0」霊性、インスピレーション
国際羊毛事務局主催デザインコンテスト、コート部門で優勝し、ピエール・バルマンのアシスタントとして雇われる
ファッションデザイナーとしての一歩を踏み出します。

24歳(Year Cycle 23)「2」人間関係、協調性「3」視野の拡大「2+3=5」環境の変動
ジャン・パトゥの下に移籍。生地、技術的なことを学ぶ。

45歳(Year Cycle 26)「2」変化を受け入れる「6」家族問題
母エリザベス・バーマン亡くなる。
No6のサイクルの時は家族の問題から内面の強さを養う時期でもあります。
大きなサイクルの終わる頃の時期に家族との死別があり、そのことによって内面の成長があったかもしれません。

49歳( Year Cycle3)創造力開花、表現、
クロエと契約終了、シャネルに移籍。

53歳(Year Cycle 7) 探求心、才能開花
シャネルの宣伝資料の3度目のチェックをしていた際「それほど厳しいならどうして自分で撮影しないんだ?」とイメージディレクターに言われたのをきっかけに写真家としてもスタート。
新たなジャンルの写真の世界に飛び込み、その直観力、センス、探求心で写真家としての才能も開花させました。

55歳(Year Cycle 9) 完結、変容
18年関係が続いたボーイフレンドだったジャック・ドゥ・バシェールがエイズで亡くなる。
死が迫ったジャックの病室にカールは簡易ベッドを持ち込み、息を引き取るまでずっとそばにいた。そして、葬式には絶対に参列しないといモットーを破り、立派にジャックの葬儀を執り行った。彼とはプラトニックな関係を貫いたそうです。
この後カールは激太りし、100kg越えの体重になったのはこのことが関係していると言われています。
9の完結の年にパートナーとの別れがありました。

67歳(Year Cycle 12)「1」新生「2」変化を受け入れる
エディ・スリマンのスーツを着るために13か月をかけて42kgの減量を成功させる。
No12の時はコツコツ積み重ねることが大切、ダイエットという日々の積み重ねで新しい自己表現(1+2=No3)のルックスを手に入れた。
このダイエットは「華麗なるダイエット」という本としても出版されベストセラーになった。


Photo: Getty Images

78歳(Year Cycle 5) 変化、環境の変動
親しい男性モデルが飼っていた子猫を預かりすっかり夢中になってしまう。頼み込んで譲り受け(正確には返さなかった?)シュペットと共に暮らし始める。
シュペットはセレブな猫として有名になっています。
孤独を愛していたカールに新しいパートナーができ、生活に変化が起こりました。


Photo: Getty Images


Photo: Getty Images

<感想>
今年2月、大きなニュースになったカール・ラガーフェルドの死。
多くの人が彼の死を悼み、過去のカールの写真が特集でメディアに出ました。
以前は黒いスーツのスレンダーなカールではなく、どちらかと言えば巨漢で、常に扇を持っていた彼を思い出しました。
遅咲きのデザイナーといわれ、白髪の印象の強いカール・ラガーフェルドですが、そのクリエイション、そして人物を知りたいと思いました。
数秘を見てみると、まるでアスリートのようにストイックに、止まることなく走り続けているカールがいました。
常にサングラスをかけ、あまり笑顔の印象の無いどちらかというと冷淡なイメージのカールですが、コレクション前のドキュメンタリーを見ると、スタッフみんながカールと仕事をする事に誇りをもって、強い絆で結ばれていて、愛があることを感じました。そして彼もスタッフを尊重し、大切に思っていることもわかります。
彼がブランドを導き、ビジネスとして成功させたからこそ多くのスタッフ、優れた技術、貴重な手仕事の継承が守られ、発展していったのだと感じました。
俯瞰的に大きな視野でファッションを見ることができたカールは偉大な存在だったと改めて思います。

Reported by tomiko

関連記事

PAGE TOP